Aug,13 2013 Identity
人でも物事でも何かを「治める」ときは画一的な方が合理的でやりやすい。逆に個が強いものを治める際は画一的手法が用い難く、故に治める側の器量を問われることになる。
治められる側も画一的な手法に迎合した方が示された道が多く、振幅が少ないことからくるデメリットはあれど比較的安定していて面倒も少ないが、迎合できない何らかの個を持ち合わせるものは、時として道を模索せざるを得なかったり周囲と衝突するなど、世からの否定的な扱いとも取れる事象に陥ることがある。
他人がどう思おうがなんだろうが幸せの形は十人十色、俺は俺でしかない。狭量かもしれない、何かを得ようとすれば何かを捨てなくてはいけないし、何かを失えばそれによって得るものもある。
好むと好まざるとにかかわらず失われるもの、自ら捨てるもの。その果てに残ったもの、それがIdentityでいいじゃないか、時としてそれが他人から疎ましく思われてもだ。
少々長く生きていれば、俗世に迎合する方が楽なのも判る。それでも本質を崩さない範囲の融通以外は通す。
もっと知りたい、もっと見たい、もっと聞きたい、もっと触れていたい・・・Identityからくるそんな欲求は無限とも思えるが、それを満たすために他のいろいろなものを屠り蔑にしている。時として屠るものの中に幸せを垣間見たりすることもあるが・・・・省みる過去はあるが戻れる過去は無く、前を向いて進むしかない自分には合っているのだろう。
貫き通そうとするIdentity、通せるのか、通せないのか、通したその向こう側はなんなのか。自らの尊厳をも憂うことになりかねないが、白日の下とは言い難い酷薄な今を。