Sep,30 2016 Stairway to heaven
けっこうなリアリストだね。
漫画、映画やドラマも好きで楽しむが、バーチャルなものと現実とを混同させたりはしない。
よりスポーツや音楽で背筋がぞくっとしたり、サブイボでたりするのは、それが「現実のもの」だからだろう。
「死に様より生き様」
以前こう書いたことがある。
人に限らず生き物は「生きているからこそ」だと思う。
「身命を賭して」とか死に様のようだが、そりゃ生き様だよね。「武士道とは信念に死ぬことと見つけたり」って行があるが、あの時代に頑張り通せば、信念を貫き通せば、自ずとそうなるだろう。
今の時代、ものも情報も溢れているが、特にスマホの普及で提供する側とされる側の距離が縮まり、取捨選択が難しくなってる。
所謂「B層マーケティング」をやり易い時勢、そんなところだろうね。
賭け事は胴元が一番儲かるのと同様、流行りなんて作ったもん勝ち。情報流布の最大メディアがTVでなくてネットになったおかげで、誰もがそうした情報を流布できるようになった。
仕事柄、成否やその嵩を別とすれば、俺でもできると言える。
だから、惑わされないようにできる。見方によっては「お堅い」「頑固」って見られるが、自分にとって大事なものをシンプルに重要視して、それ以外は捨てるか諦めるか軽んじるかだ。
20代の頃は、あれもこれも欲しい・やりたい、仕事も頑張るで一日が36時間以上欲しいと思っていたが、もう少し取捨選択をしていれば、もっと幸福な時間を過ごせたのかもしれない。断捨離じゃないけどメリハリ付けた方がいいのかもしれない。
何故かは覚えていないが「自分の寿命は50歳」、小学生のころからそんな意識があった。
尊敬する歴史上の人物は「織田信長」と「諸葛亮孔明」だが、いずれも鬼籍に入ったのは50前後。
「将来を、老後を考えた人生設計を」などと言われたが、特にスポーツの類は年を取ってからでは難しいものがあるから、今=波乗りにはまりまくった。未来の事は判らない、未来は未来でその年相応にその時愉しめるものがあれば良いとも思ったが、例えそれが趣味や遊び、もちろん仕事であろうとも、今・この時をを頑張ってやり通さないと明日にも未来にも繋がらない。
「太く長くが良いけど、太く短くでも仕方ない」
「それでのたれ死ぬ自分を否定しない」
性格故だろうか、そうやってきた。
体力は経年・老化で落ちるが、続けていれば技術は磨ける。本当、体力の衰えはきついものがあるが、ターンを磨いてそれを愉しむことはできる。
そんな嬉々とした瞬間を求め得ながら、天国への階段をまた一段昇っているんだろう。