Aug,05 2011 記憶の中の茨城とこれから

もう20年位、夏になると通っている鹿島灘の北部、今年は例年に無く遅いスタートだが、久々にこのエリアで波に乗ってきた。震災・津波の被害等から、今年、若しくは数年はこのエリアでの波乗りは出来ないかと考えていたが、いつもの年のようにサーファーが訪れていた。


110805.jpg津波の被害が出ていた事は聞いていたが、その津波もそうだけど、地震そのものによる被害も千葉より全然大きなものだった。
写真の場所は、近年混雑してきたこのエリアの中でも比較的混雑の的から外れていことたから愛用していた所だが、ビーチ沿いの道が落ちてここから先へは右も左も行けなくなってしまった。地割れによる道路の損傷もそこかしこにあり、今更ながらにあの震災の事の大きさを思い知らされた。
だが、何より驚いたのはその砂の持って行かれ様で、大潮のハイタイドでも20~30mはあったビーチが無くなり、護岸に到達した波がバックウォッシュとなって海へ戻っていた。
もちろん津波によるものだろうが、ここ数年大洗の港湾拡張による砂の流出からくるビーチの後退が一気に進んだというか、場所によってはとどめ差された感じで、このエリア全てのビーチが後退若しくは消滅した。
ここに限って言えば、以前護岸の高さは2mも無かったのだが、今は優に2mを超える高さになり、ビーチの下に埋もれていたテトラポッドが露出している。
知っている人は知っていると思うが、千葉の日在・長谷川荘辺りは以前は護岸の下がもっと深く、護岸際にテトラポッドが置いてあった。当時から長谷川荘では度々サーフしたが、ロータイドでは問題なくとも、ハイタイド時はテトラまで潮が満ちてきてしまうので、ハイタイド前後は出来ない事があった。
そんな長谷川荘周辺も年月と共に砂がついて、今やテトラポッドが埋もれているなんて誰も思わないだろうが、この長谷川荘で長い年月を経て起きた事の逆事象が津波により極短時間で起きてしまったのではないだろうか。


町村合併する以前の旭周辺が大のお気に入りだった。
でも、北に砂を取られてドン深な海へと変貌を遂げたことや、ビーチへの侵入路を閉ざされたりした事で、近年大洋村でサーフする機会が増えたが、更にこの震災でやれるところが限られた。
おまけに以前は高速から遠いことや、情報が無い事からサーファーも少なかったのだが、ここ数年急激に訪れるサーファーが増えと事も相まって、以前の様に何処でも出来るビーチの中から一番良いところを探し、ハッスルなんか無い、来た波をゆっくり捕まえて乗るコンディションは、記憶の中に在る別世界になってしまった。


サーフィンし辛い海になったのも自然の力だけど、きっと自然の力で良い波の立つビーチへ戻るだろう。
現に以前は潮流から良い事が無かったヘッドランドの南側に砂が付いている場所が散見されるようになった。もちろん怪我の功名といった部分は否めないが、この様なパーフェクションの再現を祈って、南風の吹く時期待ちわびるのだろう。

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