Sep,17 2014 life is surf,isn't it?
live to surf,surf to live
とかね、嘯いて来た。
10年前、特異なケースだがサーファーズイヤー手術の後遺症というか合併症というか・・・酷く苛まれ、結果的に条件付きながら海には戻れたから、うやむやになっているその原因は判らず仕舞い。
そう、波乗りできれば他は何でもOK、そんな風になっていた。
時間が経ちあの時以前の様な生活に戻ってきて、「波乗りできれば、それだけでいい」といったある種刹那的な・抒情的な言動が揺らいできた。
普通に会社勤めして、それはそれなりの社会性を持って、多様な人間関係に塗れていればそうなるのだろうけどね。
あの手術前は、やれる範囲とはいえカツカツで波乗りして、遊びも仕事も充実してたからサビ残も苦にならなかった、毎日人に塗れながら否応ない人間関係もあって・・・・疲れた。
ずっと、「一日が36時間あれば」って生活してて、体が悲鳴を上げた。
予後不良の時期、それまでできていたことが何一つ出来ない様な毎日に変わり、周りでは「神様が休めって言ってるんだよ」と言ってくれたりもしたが、見境がイマイチついていなかった人間関係から、人が自分から離れるという事象を真に受けて悩みもした。
今思えば、仕事上の自分の立場・権力と言ってしまえば烏滸がましいが、それに群がってきてた人たちが、業務に支障を来す故に権力を失った自分から離れるのは自明で、気に留める必要もない事だった。
あったのは時間と少しばかりの金、こんな自分を援けてくれる人がいたから結果オーライでも普通の生活ができるところまで戻った。もちろん今だって後遺症というか、あれ以来の不調とはお付き合いしている。むしろ加齢によるものか、不調が悪化しているものの「加齢」というものに原因を見出せば、あの時の様に気に病むことも少ない。
「シンプルに生きる」
あれ以来、こう思う様になった。
元来人付き合いが得意ではないし、我儘、わが道を行くスタイル。波乗りはもちろん、そのための仕事も一所懸命だが、他は極力ゆっくり過ごすことを由とする。
まだシンプルには遠いかもしれないが、少しでもそれに近づければ「life is surf」ってのが名実共に実現するのだろう。